おじさんのセルフケアシリーズの第2弾です。
第1弾の「花を飾ろう」にも書いたのですが、
「(いわさきさんの場合は)お酒は趣味じゃなくて
脳を麻痺させているだけですよ」
とカウンセラーの方から言われてから、
お酒との付き合い方を考えています。
同じように感じているおじさんはとても多いはず。
わたしの途中経過です。
健康になって思い切りお酒を飲んでみる
お酒のことを考えるきっかけは、
やっぱりじぶんのからだの不調です。
以前、四十肩になったときに
治療をしてくれた鍼灸師さんから、
「いわさきさんは健康になってなにがしたいですか?」
と聞かれて、
えっ…としばらく絶句して出てきた答えは、
「思い切り働いて、
思い切りお酒を飲みたい」
じぶんにはそれしかしたいことがないのかな?と
ちょっとがっかりしました。
その後、筋トレやストレッチを数年間続けて
体の調子もとても良くなったし、
働くペースもすでに上げていたので、
じゃあやってみたかった思い切り飲むをやろう!と。
それまで週2程度だった飲む日を、
飲みたい日は躊躇なく飲む、に変更。
そしたら結局毎日飲んじゃうわけですが、
筋肉も増え、寝る体力もついたので、
飲んで、すぐ寝て、スッキリ起床!
たのしいうれしい!
30代に戻ったみたい。
平日は毎晩、休日は昼から呑む生活を、
4か月続けました。
・・・4か月後。
寝て、起きたら仕事して、仕事が終わったら飲んで、酔って寝る。
毎日同じことの繰り返し。
仕事して疲れて、
お酒を飲んだら解放されるけれど、
酔いがさめたらなんだかむなしい。
仕事をして充実感を得て、疲れてまた飲む。
自らストレスをかけて、それを解放するという
からだへの負担を繰り返しているような。
あれ?
そんなにおもしろくなくないか?
酒、いらないんじゃないか?
という気持ちが自然に湧いてきました。
じゃあ、今度はお酒を止めてみよう。
お酒を止めてみる
はじめは、お酒を1年間止めるつもりでしたが、
妻からまずは数ヶ月やってみたら?と言われて、
元旦から春分の日まで、
春分の日から飲酒を再開しても良いくらいの
軽い気持ちで3か月お酒を止めてみました。
3か月お酒を飲まないで過ごしてみた変化。
まず、体調面。
・からだが軽くて、常に余裕がある感じ
・お腹の調子が良い
・元気なので、夜眠くならずに夜ふかししがち
・寝付いたあとの眠りは深い
・・・とにかくからだはラクなので、
アルコール分解は臓器に負担がかかると実感。
冷えたビールやチューハイを飲まないと
お腹を冷やす回数も激減。
次に生活面。
・行動時間が増えた。特に夜と週末
・夜ふかしが増えた
・おつまみ専門だったのが、意外と食事も作るように
・・・夕食後も運転できるので、
夜買い物に出かけたり、仕事したり、
サブスク増やして雑誌を読んだり。
逆に早寝ができなくて夜ふかしになりました。
増えた時間で夜に仕事をしてしまうのは良くないので、
趣味を増やしても良いかもと思いました。
最後にこころ。
・「飲むか/飲まないか」の判断が無くてラク
・飲まない代わりに激辛・お菓子・ホラーが増えた
・お酒の代替行為は見つからない
・「酒のみたい!」という欲求は漸減するが、無くなりはしない
・「酒に溺れたい」という強い欲求を自覚
・・・お酒を止めてすぐはストレス解消の代替行為で、
辛いもの、甘いもの、怖い動画などを
やたらと欲しくなりました。
お酒を飲みたい欲求はしばしば訪れますが、
おもしろいのは、
じゃあ1杯だけ、とは思えないこと。
飲むなら酔っ払うまでトコトンおぼれて、
ストレスを解消したいんだという
じぶんの「欲求」を感じることができました。
健康的なお酒の代替行為がないか探しました。
飲酒と似た心の平安という「効果」なら、
瞑想などでもある程度は得られるが、
お酒特有のたのしさ、味覚の歓び、
陶酔感の代替にはなり得ないな、という感じでした。
お酒を飲んで、あらためて「酔い」を感じてみた
そのままお酒を止め続けても良かったけれど、
あらためて飲んだときの自分をちゃんと感じて、
そのあとどうするかを決めたかったので、
春分の日のあとに、予定通り飲みました。
感じたこと
・酒は非常にうまい、たのしい。お酒は良いものだ。
・「酔い」は「洪水」に似ている。アルコールが入ると、脳に水が注がれていく。軽薄ではあるが楽しさ・気楽さが水位とともに浮かび、より楽しく、より気楽さを感じるようになる。
・同時に、不安や仕事、お金や健康などの心配事の「重いもの」は水に沈んで、気にならなくなる
・上記のことが「強制的」に起こる。洪水による脳のシャットダウン
・ほとんどの感覚が愚鈍になる反面、周囲の動き、音、空の色や光に対しては感覚が鋭敏になる。愚鈍な心地よさであり、研ぎ澄まされた心地よさではない
・ビール、ハイボール、日本酒を飲んで、最後にチューハイを飲みたい強い欲求があったが、感じてみるとチューハイを飲む「必要性」がなかった。お茶を飲んでしばらくすると欲求も収まった
・もし最後のチューハイを飲んでいたら、二日酔いしただろう。なにより「脳の水位」が一線を超えて、悪酔いしただろう
・今回は「感じる」と強く意識してたので最後のチューハイを踏みとどまれたが、いつもは踏みとどまれないだろう。「酒飲みはいやしいからしょうがない」と自分を正当化してきた部分。
・酔っ払ってボーっとしてなにもできないのですぐ寝る
・真夜中に酒が抜けて、悪夢を見て起きる。二日酔いではないが、からだに余計なものを入れた重さがある。お酒が覚めたあと特有の「虚しさ」「世界も人生がつまらないニセモノと感じる」気分に包まれる。不快。
・・・お酒はおいしくて、
素晴らしいものということは変わらない。
問題は、受け手側のじぶん。
酔いによるストレスからの解放って、
まあ錯覚ではあるのだけれど、
気持ちが良くて、常習性があるなあと感じました。
ストレスの少ないひとが、
よりたのしむために飲むお酒はおそらく良いもの。
ストレスが多いひとが、
数時間だけストレスから解放されるために飲むお酒は、
おそらくニセモノ。
それはアルコールに依存したストレス解消、
=「おつかれ生」の呪い。
それはわたしの本当にしたいことではありません。
ストレス解消のための飲酒は、
二日酔いの時間を使い、
こころも含めて体調を押し下げる。
そうまでして飲みたいとは
もうじぶんは思わなくなったんだな、
ということがわかりました。
この先のお酒とのつきあい方(仮)
春分の日に感じたことを踏まえて
夏至まではこうすることにしました。
・基本、家では飲まない
・ひとりで外飲みもしない
・飲み会は行かない(目的が会話ならお酒はボーッとするので飲み会ではなくお茶へ行く)
・妻が飲みたいときは、妻の時間と量だけ付き合う(妻の飲酒は頻度が少なく、量もあっさり)
・旅行中、お祭り、ライブ、お祝い、ビーチやBBQなど、イベントでたのしくて飲みたいときは飲む
お酒が好きだから、断酒したいわけではないし
でも疲れたから飲むのはしたいことではないので止めたいので、
お酒抜きでたのしい時間に、
よろこび増幅のお酒から始めてみます。
夏至までやってみて、
また夏至に見直します。
もしかしたら、その先に、
溺れないお酒との付き合い方があって、
ずっとたのしく飲めるかもしれない。
あるいは、お酒を飲まなくなるのかもしれない。
どちらにしても、
自分でお酒との付き合いかたをコントロールできている今はたのしいです。
そして、日常的にお酒を飲まない代わりに、
月イチでひとりハイキング登山始めました。
ハイキングの記事も書いていきます。
・・・ここまで読み返すしてみると、
むかし良く飲んでたひとが、
おじさんになってあんまり飲まなくなった
というだけのよくある話でした。
その、誰にでもあるおじさんの内面を可視化することが
おじさんのセフルケアの最初の一歩だと思います。
あとがき
はるやすみ、
むすこと自転車で近所のお寺のお祭りに行きました。
半そでで行ったら手首の上らへんが日焼けして
ちょっと水ぶくれになりました。
びっくり。
調べたら、沖縄の3月の紫外線は、
内地の真夏並みの紫外線でした。
沖縄で外歩いたりしないから、
こういうのわからないものです。
