息子に性教育を定期的にしています。
うちの性教育の方法と、実際にしてみて感じたこと。
性教育をしようと思ったきっかけ
子どもが産まれたら性教育を!と思ってました。
きっかけは、自身の性教育を「自力」でやってきて、
遠回りしたなあ、損したなあ、と感じたからです。
うちらの世代はだいたいみんな同じと思うけど、
小学生の頃、近所の空き地や裏山に「エロ本」が捨ててあって、
それを見て「これはなんだろう」という感じで。
第一印象がジメジメしていたわけです。
あとはマンガやドリフなどの影響でしょうか、
小学生は「エロい」「ヘンタイ」を悪口としてはやします。
それで隠すことだと刻まれます。
そこから人を好きになって、付き合ったりしていくうちに、
性というのはなにか大切なものだとわかりはじめ、
自分でいろいろ調べていきました。
おとなになってから振り返って感じたのは、
「性」がジェンダー間の「壁」になっていたということ。
性は、自分と他者をつなげて自由にしてくれる大切なものなのに、
中高生だった自分には、恥ずかしくてよくわからない、
相手との間にある自意識がとらわれる深い溝みたいなものでした。
自分の子どもには、性の第一印象が
明るくて、おおらかで、豊かなものであってほしい、
そう願っていました。
性教育の方法
そんなに特別なことはしてません。
「タイミングを見計らって、絵本を一緒に読むこと」
くらいです。
絵本も、性教育といえばコレ!みたいなオーソドックスなものばかりです。
![](https://aisaikaoru.com/wp-content/uploads/2021/07/IMG_20210708_185103-700x700.jpg)
最初はいっしょに読みます。
いろいろ質問されるので、答えながら丁寧に読みます。
あとは、ほっといたら、たまに自分で読んでます。
「もう1回読んで」と言われることもありますし、
あれってこうなんだよ、みたいに逆に解説されることもあります。
絵本以外には、
親向けの性教育の教室にいくつか参加しました。
ほとんどが子連れで行けるものでした。
親に羞恥心があると、子どもは敏感に察知します。
子どもは「これは聞いちゃいけないんだ」と親に気を使うので、
性に関することが親子間のタブーになってしまいます。
そうならないよう、性教育への理解を深めるのが目的でした。
あとは、息子の普段ふれるものの変化に注意しました。
保育園で女の子との違いを意識しているなあ、とか
好きなのに照れがあって”叩く”みたいな表現になってるな、とか
男友だち同士でわけわからんオトコ意識が出てきているなあ、とか
YouTubeで若干の性的なニュアンスを含んだ動画を見てるなあ、とか。
それを叱ったりからかったり否定はなるべくしないで、
見守りつつただしい知識を与えるようにしました。
それから、性教育は、主にわたしがしていて、妻は見守る感じです。
性教育が苦手だという感覚も、ひとによってはあると思います。
夫婦で意思統一だけはしておき、
実際の話しは得意な方がすればいいのかなと。
実際に性教育をして感じたこと
性教育はまず第一に、子どもの身を守るものだ、ということを知りました。
性教育の教室では、その視点がかならず最初に語られました。
危害をくわえるおとなに対して、子どものちからは弱いです。
だから、大切なもの、プライベートなものが、
自分のからだにあり、嫌なことを嫌だとあらわすこと。
なにが起こってもあなたは悪くはなく、あなたには味方がいること。
性教育は命を伝えることだということがわかりました。
「あかちゃんはどうして産まれるの?」というこどもの質問を、
おとなはすぐにセックスのことだと勘違いしがちです。
そうではなく、両親が出会って、愛し合って、望まれて、
大切にされるために、自分は産まれてきた。
そのために、とうちゃんかあちゃんと、じぶんのからだが
こうなっている、ということをこどもは知りたいわけです。
だから、性教育は、こどもが自分の命と存在が
大切にされていることを知ることでした。
子どもに「あなたが大切だ」と伝える、貴重なチャンスでした。
そして、親のできることは、とても少ないことがわかりました。
きっかけは、わたしの経験への反省からでしたが、
それは、子どもが自分で切り開いていくことです。
親は、子どもに正しい知識を与えます。
子どもは、無駄な遠回りや、余計な雑音を払いのける知識は手にしますが、
それでも結局は、自分でぶつかって、悩んで、成長していくしかありません。
だから、わたしの経験なんて子どもには何の役にも立たず、
子どもの成長するちからを信じて見守ることしかできません。
教育はおおよそそういうものだと思いますが、
それを性教育を通して認識することができたことが、わたしの財産です。