コロナワクチンは打ちましたか?と聞かないで。

先日、とあるカフェでモーニングをしてきました。

とてもおいしかったです。

このお店は観光地にあり、お客さんも店員さんも

おそらく意識的にマスクをしていませんでした。

開放的でありながら、どこか切実な空気感でした。

同じ系列のお店があり、そこは夜にお酒を出す店なのですが、

緊急事態宣言が長引くことに耐えられず、夜の営業を再開したそうです。

もちろんお酒も出しています。

私たちの政府が、酒類の販売事業者に対して、

緊急事態宣言の対象地域で酒の提供を続ける飲食店とは、

取り引きしないよう文書で要請をしました。

反発が恐いから罰金はしないが、

言うことはきかせたいから外堀を埋めてやれ、ということでしょうか。

私たちの政府は、気に入らないヤツを無視していじめろと命令しています。

【7月13日追記】

政府が要請を撤回しました。

いま住んでいる場所は観光地なので、

おととしの夏までは、夜10時を過ぎても通りは明るく、

布団に入っても通りを歩くひとたちの楽しそうな声が聞こえてきました。

現在は夜8時になったら灯りは消え、ひともほとんど歩いていません。

あの楽しそうなひとたちは、今どこにいるのか、毎晩不思議な気持ちになります。

仕事の関係者から、「ワクチンはいつ接種する予定ですか?」と聞かれました。

ワクチン接種は、わたしのプライバシーなので、

接種予定をヒアリングする理由・根拠と、提供した情報の取扱い方法を尋ねました。

理由は業務上妥当なものでしたが、根拠への言及はありませんでした。

厚生労働省に聞いてみたところ、

接種は個人の判断であり、業務に従事する条件にもならないし、

接種を強制したり、接種を受けていない人への差別的な扱いは法令で禁止されています。

差別は、受ける側の受け取り側の問題なので、

差別を受けたと感じた場合には、法務省の人権相談へ連絡してください、とのことでした。

差別ではなく、接種者と未接種者を「区別」できる根拠が知りたかったのですが。

労働基準監督署に聞いてみたところ、

接種したかとヒアリングすること自体は、

正当な理由があれば、差別ではないので問題はないが、

そのヒアリング方法が適切でなければ、指導の対象となり得るとのことでした。

集団のなかでさらしもののようにするのは差別につながるからです。

関係団体の然るべき機関に聞いてみたところ、

団体全体としてはワクチン接種の有無を確認をすることを指示してはおらず、

各部署における根拠に基づいて確認を指示しているはずなので、

指示をしたところに問い合わせるべきだと。

場当たり的に、主観的な理由でヒアリングがされてないですよね?

ワクチン接種のヒアリングの方法や情報の管理については、

就業規則のように取扱いに定めていれば、

差別をされないという安心のもと回答できるので、取扱いを定めてほしい。

静岡の両親は、コロナが始まってからもう1年半以上、

沖縄に来られず、孫に会えていません。

今月で2回目の接種を終え、もうすぐ沖縄に来る予定でした。

先週、父から接種はいつかと聞かれたので、すぐは打たず、

状況をみながら慎重に見極めようと思っていると答えると、

お前がワクチンを打つまでは会わない!と、激昂していました。

父は以前心臓が悪かったので、不安がとても大きいのだと感じました。

ワクチンを打っていないひとと会うと危険、という不安は、

ほんとうなのでしょうか。

インドネシアやパキスタンなど、ワクチン接種を義務化し、

拒否者への罰則が法令化する国も出てきました。

ワクチン接種の証明書もアプリになり、

ワクチンパスポートの運用は間近と言われています。

ワクチンが大切、接種がカギ、打つことは社会的な善だという

言い方をよく耳にするようになりました。

わたしはなにと争っているのかが、よくわかりません。

大切にしたいのは、小さな声に耳を傾けることです。

自分が正しいと思っていると、声は大きくなりがちです。

コロナワクチンを打ちましたか?という問いに対して、

「はい、わたしは打ちました」という声が、いま大きく響いています。

社会のあり方の前提は、打っている人も打っていない人もいる、です。

それが誰なのかは問わない、というあり方のほうに、より希望を感じています。

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