車検が苦手です。
お金がかかるし、なによりも「もやもや」するからです。
どうして「もやもや」するのか、
どうすればしないのか、考えてみました。
近所の大手自動車用品店で車検
妻の軽自動車の車検がありました。
前回までは、安くて親切な整備工場に出していましたが、
引っ越ししたので、場所が遠くなりました。
どうしようかと思っていたときに、
家から近い大手自動車用品店から車検のハガキが。
(そういえば、休日に営業電話も来てました。迷惑でした。)
ネット申し込み特典などもあり、
基本料金も整備工場より数千円安かったので、
ためしに申込みました。
予約するときに、
「よぶんなことはせず、車検が通れば良いのですが、
そういう内容でも対応できますか?」
と聞きたら、できますよということでした。
「見積もり電話」という車検のビジネスモデル
車を預けて数時間後、
お店から電話がありました。
「最低限の内容と、おすすめする内容の2種類のご案内させていただきます」
「〇〇が減少していて、安全のためには交換したほうが良くて、
交換すると部品が〇〇円、工賃が〇〇円です。
〇〇のビスが取れていて…
〇〇の有効期限が切れていて…
︙
ここまでが最低限の内容で全部で○万円です。
ここからはおすすめする内容で…
︙
以上で全部で○万円です。」
みたいなことをバーっと早口でまくしたてられます。
メモを取るヒマもない。
そして、当然おすすめする内容のほうが、
数万円単位で高いわけです。
でも、最低限の内容も、別に安くない。
前回までの整備工場の金額より数万円高い。
ん?となりますよね。
最低限の内容で、よくわからない部品の交換があったので、
「それは必要なんですか?」と聞くと、
「やらなくても車検は通りますが、これこれの影響があるので、
私達としては車検ごとの交換をおすすめしています」
あれ?
ここで、「最低限」ということばを、
わたしは「車検が通る最低限」
あちらは「お店が必要と考える最低限」
という意味で使っていたことに、
ようやく気づきました。
「あ、これはこういうビジネスモデルなのか。」
と感じました。
車検は、法律で定められた整備です。
税金などの支払も含まれています。
だから、法的な「最低限」は客観的に決まっていると、
私は勝手に思い込んでました。
しかし、お店はおそらく意図的に
最低限という言葉をじぶんたちの整備理念
(たぶん「お客様の安全なカーライフのために」みたいな理念)
の最低限としていたわけです。
私は車のシロウトなので、
〇〇部品の交換を〇〇円でした方が良い、と言われても、
それが必要なのか、不必要なのか、判断ができません。
他社と比べて金額が高いのかもわかりません。
判断ができない相手に、
たくさんの内容を電話でまくしたてられて、
「どうしますか?」と言われても、
よくわからないからもうそれでいいや、
あなたを信用して任せるよ、という気持ちになります。
そういう営業手法でしょう。
結局、ハガキに書かれていた基本料金とは
かなり違う料金になりました。
車検でもやもやしないには。
その後、仕事で自動車を扱っている方と会う機会があったので、
車検がこんな感じだったんですよねー、と話したところ、
ハガキに書かれている金額はお客さんを集めるための金額で、
実際に車検を通すには、どうやっても最低それより数万円高くなることや、
あまり安く通しすぎると整備不足で次回逆に高くなることもあり、
例えば軽自動車なら、だいたい毎回○万円程度と考えておくと良いことなどを
教えてくれました。
電話で毎回交換をすすめられた内容については、
交換しなくて大丈夫と言われました。笑。
詳しいひとの助言は、とても安心というか、
納得できるものです。
自分に車の整備の知識が足りないのは仕方ない部分もあるので、
近所の大手より、信頼できる整備工場だと改めて感じました。
わたしのようなニーズに対応したビジネスモデルもすでにあるんですね。
やはり家からはちょっと遠いですが。
また、車検制度については、制度の必要性、あり方、利権など、
様々な意見があるようです。
ディーラー車検が好きなひとも、ユーザー車検が得意なひともいますが、
わたしのような、もやもやしないシンプル車検を求めているひとも多いでしょう。
長い目で制度自体の改善も大切ですが、
短い目で、現状のもやもやをなくす選択肢が増えてほしいですね。
むすこのランドセルから詩が出てきました。
国語の授業で詩を書いたそうです。
先週ようやく初めての授業参観に行けたのでときの授業は、
アートの写真を見て、感想を言い合うという授業でした。
小学校の授業で、先生の裁量がどれくらいあるのかわかりませんが、
今の先生はすごく良い授業をしてくれていて、ありがたいです。