2025年に読んでいちばん衝撃的だった本の紹介です。

読んだ後は世界が違って見えました。
動物の殺処分などの話が出てくるので
万人向けではないですが、
読んで損はない凄まじい本です。
(苦手な方はここでそっと閉じてくださいね)
人間の特徴はオーバー・キル
この本は、人類誕生から現代に至るまでの
人間と動物の関係を、
狩猟、畜産、ペット、動物実験、戦争、
震災、法律、セラピー、文学など、
幅広い事象から論じた重厚な力作です。
本全体の感想は容易ではないので、
特に心に残った動物福祉、
いわゆるアニマル・ウェルフェアの
箇所について書きます。
まず衝撃だったのが、
ホモ・サピエンスつまり私たち人類が
地球に現れた直後から、
人間の食物となった多くの動物を
「採りすぎ」で絶滅させていること。
「これは、『ホモ・サピエンスの特徴である
オーバー・キル(資源の回復不能なまでの利用)』と言われ、
『ホモ・サピエンスがきりもなく、その生息地を拡大しなくては
ならない理由』となっていきます。」
『いのちへの礼儀』85頁
20万年前から、人間の特徴はオーバー・キル!
欲望に従って狩り尽くして、
広がってきたのですね。わーお。
私たちの果てしない欲望。
資源を掘って掘って掘りまくって、
環境を破壊して。
同時に、それは進歩と発展の原動力でもあり。
自分の欲望や、人間の原罪を考えさせられる、
すごい話だなと思います。
動物愛護ではなく動物の権利
ところで、私は動物に関して
あるモヤモヤを長年抱えていました。
高校生の頃、テレビで動物の殺処分の
ドキュメンタリーを見ました。
動物愛護センターを作家の辺見庸さんが訪れ、
捨て犬や野良猫などの殺処分に立ち会う番組でした。
なぜか自分の目で見なければいけないと感じ、
大学生になってから動物愛護センターに行き
犬や猫の「安楽死」を見学しました。
当時の私は、
これは明確におかしいし間違えているが、
なにがどうおかしくて間違えているのか、
説明ができませんでした。
※動物愛護センターを非難する意図はまったくありません
当時から「さくらねこ」や「里親譲渡会」など、
殺処分を減らすための活動もありましたが、
そのような活動がしたいわけではなく、
それがなぜかも言語化できませんでした。
・・・動物の権利について、
『いのちへの礼儀』にこう書かれています。
「私たちは恣意的な差別に反対しているのであり、
ヒト以外の生物に対してであっても不必要な苦しみを与えるのは
まちがっていると考えているということ・・・
私たちは動物たちが人類によって、
無慈悲で残酷なやり方で搾取されていると信じており、
このような状況を変えたいとおもっていることを話した。
他の点では私たちは動物たちにとりたてて
『興味をもって』いるわけではないのだ・・・
われわれは動物たちを『愛して』いたのではない。
私たちはただ彼らがあるがままの独立した感覚をもつ存在として
扱われることをのぞんでいたのだ。」
同176頁
私の感じていたことは、まさにこれです。
私も実家で犬を飼っていたし、
犬や猫は大好きで、動物愛護も大切。
でも、犬や猫がかわいくて可愛そうだから
殺すなと言いたいわけではない。
作者の生田さんは皮肉を交えてこう書いています。
「動物問題の本や資料を読んでいると
『動物が好きなの?』と聞かれることがあります。
それは、フェミニズムの本を読んでいる男性に
『女が好きなの?』と聞くようなものだと思います。」
同177頁
私が殺処分に感じたのは、
「犬や猫がこのように扱われるのは
おかしいし間違っている」
という感覚です。
でも、当時はこれを説明する言葉や概念が
ありませんでした。
この本のおかげで、20年経って、
やっと言語化することができました。
平飼いたまごを買うようになった理由
別の変化も与えてくれました。
卵を生むにわとりについて書かれた箇所を読んでから、
普通の卵ではなくて、
平飼いたまごをなるべく選ぶようになりました。
※この先はキツイ描写があります。
産卵鶏で産まれた「オス」は
卵を生まないので殺処分されます。
「オスの雛は、ビニール袋に入れて圧死・窒息死、あるいはシュレッダー状の機械で生きたまま処分されます・・・オスの雛がベルトコンベアで運ばれ、機械で体ごとすり潰されるようす・・・それは、思わず息を呑む光景です。処理された雛は、食材として他の動物に与えられます」
同143頁
「メス」の悲惨さは殺処分を超えます。
「生かされた産卵鶏のメンドリはどのように生きるのでしょうか?・・・産卵鶏は、すべての家畜の中で、もっともみじめな暮らしをしている・・・鶏には、生後10日から2週齢ごろ、つつき合いによるけがや過食の防止のため、くちばしの一部を切り取るデビークが行われます。くちばしは神経が集まる部位で、しかもデビークは麻酔なしで行われるので、ヒヨコに大きな苦痛があるとされます。事実、デビークされたヒヨコは痛みでしばらく食欲を失います・・・鶏舎は、ケージ(鳥かご)飼育と平飼いに大別されます。特に普及したのが「バタリーケージ」で、ワイヤーでできたケージ(間口25センチ、奥行40センチ、高さ45センチ程度)の中にニワトリを2羽ずつ(日本の一般的な収容数)入れ、それを何段かに重ねて飼育する方法です・・・バタリーケージの使用率は、日本では92%です。このケージ飼育は『集約畜産の究極のシステム』と言われています。ケージの中には止まり木も砂場も巣もありません・・・ケージ飼育では羽がつかえて羽ばたきもできず、砂がないので羽はきれいになりません。『ニワトリは・・・巣ごもっているときに身を隠す本能がある・・・バタリーケージでは・・・巣ごもることも、隠れることもできないので・・・産卵鶏は、おそらく生きているあいだもずっと、多大な『恐怖』に苦しんでいるだろう』。運動不足のため骨軟化症や骨粗鬆症が多発し、ケージ飼育では、出荷のとき30%のニワトリが骨折しています。・・・産卵鶏は、150日頃から産卵を始めます。産卵を始めて約1年すると、卵質や産卵率が低下していきます。この時点で屠殺される場合もありますが、日本の場合、66%で『強制換羽』が行われます。『とんでもない習慣が、根絶できないほどはびこってしまった例が・・・強制換羽だ』強制換羽は、鶏に2週間程度、絶食・絶水などの給餌制限をし栄養不足にさせることで、新しい羽に強制的に抜け変わらせるという方法です。この『ショック療法』ともいえる強制換羽で死ぬ鶏もいますが、生き残った鶏はまた市場に出せる質の良い卵を生むことができます。『しかし、この方法はとても残酷だ。メンドリは死亡率が2倍に跳ねあがり、攻撃的になり、つついたり、行ったり来たりする常同行動を始める。『感覚のあるほかの種に、ここまで餌をやらずにいたら、たいていの州で動物虐待禁止法に引っかかるだろう・・・しかし、日本では強制換羽の割合は近年むしろ増加しています。卵の殻はカルシウムで作られるので、日々卵を生み続ける産卵鶏は、若くして重度の骨粗鬆症になっていきます。そこで、農家は17~18ヵ月齢になると鶏を殺処分して肉用にし(本来、鶏の寿命は10年を超えます)、次の世代の雛を導入します。鶏は、一斉に集団『廃鶏』されるのです。『廃鶏』の肉は硬いので、肉だんごやハンバーグなどの加工用に利用されるか、埋められて肥料になります。日本では、産卵鶏が1億7480万羽飼育されています」
同144頁
卵は価格が安価で安定していて、
「物価の優等生」と言われます。
安い卵を求める人間の要求があり、
それに応える人間の努力によって
効率的で合理的な採卵方法を追求した。
それ自体は別に悪いことではないでしょう。
ただ、本に書かれているのが事実なら、
にわとりへの扱いはおかしいし
間違っていると私は思います。
※養鶏場を非難する意図はまったくありません
動物の権利が私のために大切な理由
近年、動物の権利は「動物福祉」や
「アニマルウェルフェア」と呼ばれ、
少しずつ浸透してきています。
「偽善」だという声もあるとしても、
私は「善悪」には興味がありません。
たとえ食用に殺す動物であっても、
動物の「権利」に興味があるのです。
殺す動物の権利よりも優先すべきことが
あるという声があったとしても、
別に動物の権利だけが大切とは思っていません。
ただ、おかしいし間違っていると自分で感じたこと
(今回なら野良猫やにわとりの扱いに関する社会の決まりなど)は、
なにかと比べたり、他者の考えに合わせたりせず、
自分の大切なものとして大切にしたいです。
私たちにはひとりひとり、
自分が望まないことやモノが
自分の周囲にたくさんあります。
それはある意味、当たり前です。
自分の望まないことを、きちんと言語化して、認識して、
自分が望む方向になるための
意思表示や小さな選択を、毎日積み重ねる。
それって自分のために、ものすごく大切です。
なぜなら、もしそうできなかったら、
なんだか嫌だなあと思いつつ、
それが何なのかを自分で認識することもできず、
自分にはなにもできないと
小さな諦めを毎日積み重ねることになるからです。
だから、動物の権利を大切にすることは、
動物にとってだけではなく、
自分にとって大切なのです。
今(2025年末)、沖縄では平飼いたまごの業者が、
普通のたまごを混ぜて偽装販売していたことが
大きなニュースになっています。
残念な話ではありますが、
にわとりへの過大な苦しみを望まないことの
意思表示ができる平飼いたまごという選択肢が
なくならないために、がんばってほしいと思っています。

