今日の夕方に座間味島から帰ってきました。
朝、ごはんを食べていると、
「今日の高速船は全便欠航です」
と村内放送がありました。
台風14号がUターンして波が高くなったからです。
17時の高速船は欠航なので、
15時のフェリーで帰ることに。
仕事も前倒しでやらないといけず、
合間に島を回る計画もおじゃんになりました。
どうしても行きたかったところは、
早朝散歩しながら見てありました。
座間味島は、太平洋戦争で、米軍が最初に上陸した島です。
学生時代に平和学習で習ったそのことを、
きのう座間味島に来るまで忘れていました。
ここから、沖縄戦が始まりました。
港の漁協前に、上陸の碑が立てられています。
フェリーに乗る前に30分時間があったので、
もう1か所行くことができました。
平和の塔です。
戦争で亡くなった島民軍人1200人の名前が刻まれています。
米軍の上陸前日に空襲と艦砲射撃で島は焼き尽くされ、
翌日に水陸両用戦車30両が集落に上陸。
人口2300人の村で、
230名の村民が集団自決に追い込まれています。
死ぬ必要のない、助かったかもしれないひとが、
これ以上ないほど悲惨な死に方をし、
そのことは戦後生き残ったひとをも苦しめました。
塔の向かいには石柱が立ち、
慶良間の海が見渡せます。
沖縄戦の事実を前にして、
沖縄に移住した日本人のわたしはなにを感じますか。
沖縄戦は、沖縄や米軍が起こしたわけではなく、
日本が起こした戦争でした。
踏みにじられるのは、沖縄のひとです。
今もそうです。
今も私が住んでいる市内に米軍基地があって、
日々、大学にヘリを落としたり、保育園に部品を落としたり、
毒入りの水を排水したりします。
米兵のひき逃げやレイプは減ったような気はしますが、
無くなりはしません。
これはすべて、
沖縄の問題でもなく、米軍の問題でもなく、
日本の問題です。
座間味島の戦争の跡を見て、
ずっとむかしからそうで、
今もそうだ、と確信します。
座間味村の地上戦については、ここにアーカイブがあります。
帰りのフェリーは、けっこう大きいので、
高速船より揺れないよ、と島のひとが教えてくれましたが、
わたしは大きい船のゆったりとした揺れが苦手です。
乗船中2時間、ずっと寝転がって、天井を見ていました。