慰霊の日、ことしのうちの平和学習。

6月23日は、沖縄県の慰霊の日。

小学1年のむすこの平和学習で、週末に家族で平和の礎に行きました。

慰霊の日とは、沖縄戦の戦没者を追悼する日

慰霊の日は、沖縄県独自の公休日です。

沖縄県内の小中高大学、役所や公立病院などは休みになります。

全国での認知度は25%ほどで、わたしも沖縄に来るまで知りませんでした。

沖縄県公文書館HPより

なぜ6月23日かというと、日本軍の司令官が自殺して

組織的戦闘の終結した日=沖縄戦が「終わった」とされる日だからです。

司令官が日本軍を降伏させずに死んだので、実際には戦闘は続きましたが。

この慰霊の日に向けて、子どもたちが通う保育園や学童、小中高校では、

沖縄戦について学ぶなどの平和学習に取り組んでいます。

当日は休みなので、各家庭で過ごすという感じです。

平和の礎にした理由

夫婦で話をして、週末に平和の礎に行くことにしました。

(平和の礎は「へいわのいしじ」と読みます。沖縄方言です)

むすこは平和学習では沖縄戦の話を聞いたり、

千羽鶴を折ったりしたようです。

感想を聞くと、爆弾が落ちたり、腕が取れたり、

ひとが死んだり恐いから、戦争の話はもういいと。

うんうん、平和学習って暗いし、こわくてトラウマになるよねえ。

妻と話をして、これ以上戦争体験展示とかを見せても逆効果だから、

ひめゆりの塔や平和祈念資料館はあきらめよう。

実際に平和の礎に行って、名前が並んでいるのを見る体験が大事では

という妻の提案で、平和の礎に決まりました。

コロナなので慰霊の日当日はあきらめて、週末に。

平和の礎にて

当日は梅雨の晴れ間でした。

駐車場もガラガラ。

とりあえず、歩いて平和の礎へ。

戦後、沖縄本島南部の激戦地あとに平和祈念公園が作られましたが、

その平和祈念公園の中に、沖縄戦で死んだすべてのひとの名前を刻んだ

平和の礎が1995年に作られました。

礎には沖縄県民15万人、兵隊など県外のひと7万8000人、

アメリカ軍1万4000人、韓国の方など、全部で24万人の名前が刻まれています。

むすこに何が書いてあるのかを説明します。

「基地があるから戦争はもうないんでしょ?」

残念だけど、戦争は今もほかの国でしているよ。

戦没者は出身地別に刻まれています。

妻は沖縄のひとなので、親戚の名前があります。

沖縄では、4人に1人が死んだんだよ、と話します。

島の南端まで追い詰められた住民が飛び降りた丘の上にあります。

平和祈念資料館は緊急事態宣言で休館中。

来年の平和学習で来ようと思います。

あとは園内バスで一周し、アイスを食べて帰りました。

むすこがなにを思ったのかは、わかりません。

まだまとまった考えや言葉にはならないでしょう。

平和を愛する心は、おかねでは買えない宝なので、

むすこにも持ってほしいと心から願います。

本人が考えていくことだから、親にはなにもできませんが、

両親は大切にしてたという記憶は残るかしら。