『言葉を失ったあとで』に気づかされる自分の「DV」

DVや虐待のカウンセラーの信田さよ子さん、

沖縄の貧困層の若者たちの聞き取りをしている『海をあげる』の上間陽子さん、

去年、ふたりの対談集『言葉を失ったあとで』が出版されました。

本を読んで、気づいたことなどを紹介します。

『言葉を失ったあとで』『すべて妻の責任』

この本と、関連する信田さんのエッセイの中に、

DV男性の加害者は加害の自覚がないどころか、

妻に対して我慢してきた自分は被害者だと思っている、という話が出てきます。

すこし長いですが、引用します。

「(DV加害者の男性の)被害者意識を「させられた感」と表現すればわかりやすいだろう。彼らは「すべて妻のせいだ」と考え、「妻からさせられた感」に満ちている。」

「受動性(させられ感)はそのまま被害者意識につながっていく。自分の状態をわかってくれない、妻だったら説明しなくてもわかってくれるはずだ、自分が正しいという現実をそのまま信じてくれてもいいはずだ……というように、彼らは、思い通りにならないのは妻のせいなのだ、と考える。こうして、「妻が思い通りになってくれない」という被害者意識から、DV(殴ったり、怒鳴ったり、家具を破壊したり、妻を貶めるなど)は生まれるのだ。」

「極言すれば、日本の男性は妻を女性としてではなく、「自分をわかってくれる存在=母」としてとらえているのではないか。母への依存だとすればわかりやすいが、実際にはもっと入り組んでいる。「命令しながら依存する」のであり、「威張りながら甘える」と言い換えてもいい。そして、彼らは、妻に対して受動的であるなどと思ってもみないのである。まして被害者意識を抱いているとも思わず、ただひたすら「思い通りにならない」ことに怒っているだけなのだ。」

「彼らの受動性、被害者意識は、妻に対する言動にも表れる。「お前のせいだ」などと素直に言う男性は少なく、多くは「正義」という皮をかぶり正当化する。前景化するのは、「男らしさという正しさ」だ。一家を支えているのは自分であり妻はそんな自分の大変さを理解し察してくれるべきだ、自分は合理的論理的な正しさに基づいているのに妻は感情論で非論理的だ、そんな妻を糺さなければならない……なぜなら常に正しいのは自分なのだから。」

「妻の側からすれば、批判され、否定され、バカにされるという日常が続く」

加害者という言葉について、信田さんはこうも言っています。

「男性たちで、ジェンダー意識もあって、家族関係でもがんばっているひとたちが、自分のことを加害者と言われることに対するものすごい憤りがあるんですよ。」

わたしが抜け出せなかった夫婦のあらそい

これを読んで、わたしはハッとしました。

そのことを伝えるために、ちょっと生々しい話になりますが、

私たち夫婦のケンカのことを書かせてもらいます。

どこの夫婦にも多かれ少なかれ、

パートナーの家事のやり方や、物の言い方で、

嫌なことってありますよね。

普段は譲り合ったり、受け入れあったりして解決します。

ただ、わたしがどうしても我慢できないので、

やり方を変えてといくらお願いしても、

妻が変えてくれないことがたまにあります。

妻が変わってくれないと、負担が増えるし、不愉快と感じるので、

妻はわたしのことをわかろうとしてないと考えてしまいます。

わたしは妻に合わせようと努力していて、

わたしのお願いは合理的で正しいのに、と納得できない。

特に自分が疲れているときは、不当に扱われているような気がして、

わたしが逆上して怒って大きな声を出してしまうことがあります。

妻は、わたしが声を荒げると、DVだと言います。

わたしは、家庭のこともこんなにやっているのに、

そっちこそDVじゃないかと思ってますます逆上します。

信田さんの話そのままの構図です。

被害者意識と「俺は正しい」

普段は、ちゃんと話し合いができていても、

私が逆上してしまうと、こういうケンカになりがちです。

なぜ自分が逆上してしまうのか、

わたしはこれまで、疲れていたからとか、

自分がイラチだから、と考えていました。

でも、ほんとうの理由は、信田さんの言うように、

妻は自分のことをわかってくれる存在で、

自分が正しいと考えていることを、妻に承認されたい、甘えたいと、

無意識に思っているからなのではないでしょうか。

だから承認されないと、なんでだよ!おれがんばってるのに!となる。

感情的になって、逆上する。ただの子どもですね。

精神的には子どもだとしても、身体と立場が成人男性の夫なので、

かわいいどころが、DVになってしまします。

自分は理解のない妻を持った被害者のつもりで怒っているから、

自分を正当化していて、たちが悪いです。

そもそも、わたしが妻や息子とコミュニケーションをするときに、

「怒る」必要はありません。

でも、例えば子どもが言うことを聞かないときに、

親ってつい「どうして怒らせるんだ」って、思いがちです。

それって、ただ相手を支配したいだけですよね。

とても気持ちの悪い、支配欲です。

信田さんは、エッセイの最後にこう書いています。

「男らしさのとらえ直しの第一歩は、すでに根深くある被害者意識に気づくことから始まるのではないだろうか。被害者意識と男らしさはつながっていて、ときにそれは正義の皮をかぶった暴力として表出されがちなのである。」

妻が最初からわかっていて、教えてくれていた。

それが信田さんの話から見えてきたじぶんの姿でした。

しかも思い返せば、妻は、最初からそれはDVだよ、

私は傷ついているよ、と教えてくれていました。

わたしはそれを「聞いたつもり」になっていました。

それはわたしの信仰とも一致していません。

信仰では、正しいひとはひとりもおらず、

夫婦は正しさをぶつける場所ではなくて、

相手の間違いをゆるして、

相手の弱点をおぎなう愛の関係です。

結婚は自分の承認欲求を満たすためではなく、

相手を愛するためにするものです。

妻を愛するということは、夫として自分の要求が満たされることよりも、

妻を尊重し、大切にすることです。

妻を大事にするのが夫の役割で、

妻をまるごと受け入れてあげられるのは、夫だけです。

それを目標に歩んできたつもりでしたが、

ぜんぜんできていなかった、と気づくことができました。

いつも妻から、「だから言ってたでしょ」と言われます。

ほんとうにありがたいなと思います。

一生気づけないでいたら…と思うとゾッとします。

気づきを与えてくれた信田さんと上間さんの本もほんとうにおすすめです。