「来島者の受入れ可否を確認しましょう」に感じる違和感

先日、出張で離島に行きました。

空港に着くと、地元の観光協会のひとから、

コロナ防止の協力のお願いのチラシを渡されました。

その中に、こう書いてありました。

「飲食店などの利用時、

 必ず来島者である旨を伝え

 受入れ可否を確認しましょう。」

その島は小さな島だったので、医療体制も不足しており、

島民を守るためであるということも、伝わってきました。

ただ、来島者は受入れないことがあり、

それを追認しているような印象を受けました。

来島者を来島者であるという理由で拒否すれば、

来島者が差別されているようにも感じますが、

もし来島者がウイルスを撒き散らしていたら、

被害を受けるのは島民なので、

逆に来島者が悪者のような構図になります。

コロナとの戦い(という言い方も好きではありませんが)には、

そういうねじれがあるので、

今回のような呼びかけが、これから増えてくるかもしれません。

念のため、法務省の人権相談の電話で、

この呼びかけ文書の表現に問題がないか聞いてみましたが、

特に問題ないという回答でした。

理由は教えてくれず、

問題ない、それだけだよ、という感じでした。

わたしは、この文章にはとても違和感があり、

この違和感が共有されない、否定される社会に

なっていくのは、嫌だなあと思います。

どこから来たかでひとを受け入れないこと自体は、

とても差別的なことですから。

もちろん、健康上の理由で、

リスクが高い相手との取引を止めざるを得ない場合もあると思います。

でも、わたしたちがそういう「空気」をおもんばかり過ぎて、

こういう文書があふれるようになったら、

気持ち悪いです。

以前、ワクチンを打ったか聞かないでというブログを書きました。

先週、お昼の視聴者投稿型のラジオで流れてきた

その日のお題は「ワクチンは打ちましたか?打った/打ってない」でした。

ガーン。

先日、SNSでみた知人の投稿には、

その知人の親しい友人がコロナで重症化し、

友人の苦しみに献身的に寄り添っている内容でした。

その投稿のなかで、知人はワクチン否定の意見に対し、

今は黙っていてほしいと思う、と書いていました。

基礎疾患がある家族がいるひとも、

同じようなことを書いていました。

わたしは、傷ついたり、ショックをうけたひとが、

「黙っていて欲しいと思う」と感じることは、当然だと思います。

それで気がついたんですが、

「黙っていて欲しいと思う」ということと、

「お前は黙れ」ということは、

似ているようでまったく違います。

前者は、自分の感情で、

後者は、相手への否定、攻撃です。

ただ、ネットの世界では、このふたつの区別はとてもつきにくいので、

黙れと言っているように受け止めてしまいがちです。

わたしは、黙っていて欲しいと感じてしまうことも、

賛成を言うことも、反対を言うことも、

自由に意見を言える環境を、両親や祖父母の時代が

勝ち取ってくれたものとして、

とてもありがたく、大切にしています。

なので、「黙れ」とは言ってはいけないし、

相手をはなから否定しているのであれば、

それはコミュニケーションではなく、

負かしたいだけの戦争みたいなものだと思います。

コロナを戦争に例えることが当たり前になってきました。

戦争なので、命がかかっているので、勝つことが至上主義、

まちがった意見は認めない、お前は責任とれるのか、

という空気が漂ってきました。

その空気に引っ張られて、

「お前は黙れ」と言い始めたら、

上に立つひとを人格的に攻撃し始めたら、

それが許容される社会になってしまったら、

それこそがわたしたちの敗北だと思います。

コロナは戦争ではありません、

ただの天災です。

戦う相手を間違えたら、勝っても負けなので、

戦う必要がないものとは戦わずに、暮らしていきましょう。

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