沖縄で暮らしている私たちの希望

沖縄に移住して26年になります。

先日、妻が泣いていました。

理由を聞くと、

インフルエンサー西村博之さんの

辺野古の座り込みに対する投稿を読んだ。

それで、心が傷ついたから、と話してくれました。

妻は本当に涙を流していました。

とても傷ついたということが伝わってきました。

なぜ、涙が流れるほど傷つけられたかというと、

私たちの住んでいる沖縄には、

米軍基地が集中しているので、

嫌だと感じることがたくさんあります。

米軍の事件、事故、環境汚染、

日本からの差別、無視、中傷誹謗、

沖縄の中の争い、分断…

そうやってずっと昔から、

毎日傷つきながら暮らしているその心を、

あらためてグリグリと踏まれたから、です。

わたしも西村さんの投稿は読みました。

真っ先に感じたのは、

どうしてこの投稿には、

こんなにも私たちの心をざわつかせる力があるのだろう、

ということでした。

あの一連の投稿には、

反論するにしても、無視するにしても、同調するにしても、

胸がギュッとし、

攻撃性が引き起こされ、

自分自身の意見に反対する人々をやり込めて見下したいという

強い欲望が喚起させられずにはいられない、

そんな力があります。

私には妻が大切です。

妻と同じように、傷ついた友人知人の投稿も、

連日目にしています。

わたしも傷つきました。

この傷を一緒に回復したい。

癒やされなければ、傷は怒りと恨みに変わり、

自分で世界を分断し、敵や対立する者を生みだし、

心の平安が失われ、平和が遠のいてしまいます。

それでは、対立を煽りたいひとの思うつぼだし、

自分の望む世界にとどまれません。

沖縄に住んでいると、軍隊や国家が、

自分の生活を必ずしも守ってはくれないことに直面します。

軍隊が私たちに被害を与えたとき、

国は私たちではなく、軍隊を守ります。

国家間の取り決めが、住民の希望よりも優先されます。

そのとき、国には、私たちの命や生活よりも、

大切なこと、優先したいことがあるのだと知ります。

それは本当につらいことです。

それでも、みんなが一緒に苦しんでくれるなら、

つらさはほとんど吹き飛ぶでしょう。

そうでない場合も多いです。

被害を受けて、苦しんでいるのに、

「仕方ない」「そういうものだ」「わがままだ」

と言われたりします。

安心は失われ、価値が無いもののように、

不当に扱われるのです。

私は、不当に扱われる原因は、

日米安保条約と日米地位協定のあり方、

そして、日本の安全保障を経済優先で捉えてきた

私たち日本人のあり方にあると考えています。

しかし、これらの問題はあまりに巨大で、

その歪みが現れて被害を受けている沖縄から、

なにをしても、なにを言っても、

なにも変えられないということも、

同時に味わっています。

沖縄の日常は、負け戦なのです。

わたしは、世界的な神学者が平和運動について書いた本の

あるエピソードを思い出しました。

1965年アメリカのアラバマ州で、

黒人の市民権獲得を目指した歴史的な「セルマの行進」がありました。

黒人は歩いているだけで、市民や軍隊からの暴力にさらされましたが、

マーティン・ルーサー・キング牧師たちは非暴力を貫きました。

黒人のデモですが、黒人を支援する白人も参加しており、

彼らは「白人の黒人」と呼ばれ、白人優位主義者から激しく憎まれました。

参加していた神学者ナウエンが見た光景です。

腹を立てて歩道に立っているその白人たちは、

怒りを込めて私たち(白人)に叫ぶのでした。

「神父さん、あんたのおふくろさんは黒人かい?」

二人の黒人学生と一緒に歩いていた司祭は、

顔につばをはきかけられました。

彼はあまりの怒りに、そこで行進するのをやめようかと思うほどでした。

しかし、黒人は彼を引きとめて叫びました。

「だめだめ、腹を立ててはいけない。

 私たちのように冷静になりなさい。

 あなたは白い黒人で勝ち目はないのだ。

 神父さん、あなたはそれを学ばなければいけないんだ。」

(『平和への道』ヘンリJ.M.ナウエン著 廣戸直江訳 聖公会出版)

私たちは、被害を受けるたびに、傷つき、涙を流し、

生活を守るために、声をあげています。

軍隊や権力との力の差は圧倒的で、

怒っても勝ち目がありません。

怒りは瞬間的にエネルギーが湧きますが、

持続せず、絶望や諦めにつながりやすい罠なのです。

怒りは自分を消耗させるからです。

沖縄に住む私は、そのことを学ばされています。

同時に、沖縄の強さを感じています。

虐げられているからこそ、

他の虐げられている人を感じることができます。

弱さのなかでこそ、

私たちは他者に心を寄せることができます。

すぐに勝つことができないからこそ、

今日の現実に絶望せず、

希望をあきらめていません。

それこそが、人間に与えられた本当の強さだと、

私は信じています。

セルマの行進では、

最後にたどり着いた国会議事堂の前で

キング牧師が演説をします。

「私たちは戻ってまた苦しみを続けるでしょう。

 けれど私たちは今、確信しています。

 私たちは突き進むのです。

 他の人たちは殺され、涙は流され、人々は倒されるでしょう。

 でも私たちは屈せず突き進んでいくのです。

 ……そして誰も私たちを止めることはできない。」

(『平和への道』ヘンリJ.M.ナウエン著 廣戸直江訳 聖公会出版)

沖縄の負け戦はこれからも続くのでしょうか。

日本は、台湾有事を日本有事とし、

防衛費を倍増して武器を買って沖縄に配備し、

与那国島にシェルターを作るのでしょうか。

そうやって、日本は再び沖縄に基地と戦場を

押し付けるのでしょうか。

しかし、沖縄に住む私たちはあきらめません。

日本にも、沖縄や、虐げられた人たちに心を寄せてくれる人は大勢います。

私たちの本当の希望はなんでしょうか。

本当の希望は、

勝利することにだけあるのではなく、

傷つき、涙を流しながらも、

勝利を得ると信じられることにあるのですから。

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